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三の曲輪

ページID:0007441 更新日:2013年12月26日更新 印刷ページ表示
 伝承では、秩父孫次郎(ちちぶまごじろう)が防備を請け負ったとされる秩父曲輪が存在していたといわれています。平成10年~13年に行った発掘調査では、三の曲輪北側部分(伝秩父曲輪)では石積土塁や庭園跡が確認され、南側部分には門跡が確認されています。

庭園

 池遺構や堀立柱建物跡16ケ所のほか柵列(さくれつ)・土坑(どこう)・溝などが確認されましたが、礎石建物は確認できず、耕作などにより削平されたものと思われます。池遺構には立石の抜き取り跡等は確認できず、地山を削りこみ、最深部に小石を疎(まば)らに散らしただけの素朴な池であったと思われます。この池への導水施設は確認できず、排水施設は素堀りの溝が蛇行して存在していました。池底には白色粘土層が確認されていることから、雨水を溜めていたものと思われます。
 四阿(あずまや)は、確認された掘立柱建物跡のなかでもっとも池に近い遺構上に盛土後建築しており、建物のイメージは四脚門と同様「洛中洛外図屏風」に描かれている細川管領邸の板屋根の意匠を採用しています。
四阿と庭園

四脚門

 発掘調査で検出した礎石と石階段から四脚門と想定しました。復元のイメージは、近隣に戦国時代の武家屋敷等の建造物は皆無なことから、「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)に描かれている細川管領(ほそかわかんれい)邸の板屋根の意匠(いしょう)を採用しています。木材はほとんどヒノキで、屋根裏化粧はスギを使用しています。門右手には土塀を想定し、左手には土塁が接していたものと思われます。現地では、土塀の一部を復元し、他は植栽によって表現しました。
四脚門

石積土塁(いしづみどるい)

 土塁の表面に川原石を階段状に積み上げているのが特徴で、約1m積んでは控えをつくり、更に積み上げて土塁全体を高く造り上げています。数箇所に階段を設け、有事の際には城兵が駆け上がったものと思われます。裏込め石は使用されておらず、西国の石垣とは技術的な違いが認められるため、石積と呼んでいます。
石積土塁 

問い合わせ

鉢形城歴史館
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Tel:048-586-0315 Fax:048-580-0818
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