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七代目松本幸四郎別邸跡地 雀宮公園
七代目松本幸四郎別邸跡地 雀宮公園
荒川の清流沿いにある雀宮公園は、明治から昭和にかけて活躍した歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎(1870~1949)の別邸「武州寄居町雀亭」の跡地を整備した公園です。別邸は、寄居町の景観を気に入った七代目松本幸四郎が、1913(大正2)年に新築してから昭和初期まで存在していました。
現在、園内にはこの別邸を模した東屋や、十代目松本幸四郎の座右の銘「守破離」が刻まれた石碑、園内の南北を繋ぐもみじ橋などが整備され、多くの町民の憩いの場として親しまれています。
開催します! 雀宮公園ライトアップ
紅葉の見頃を迎える雀宮公園でライトアップを行います。日中は紅葉と木漏れ日が織りなすコントラスト、夜は紅葉と光の幻想的な共演が幻想的な空間を創り出します。
ライトアップイベント
日程
11月28日(金曜日)、29日(土曜日)、12月5日(金曜日)、6日(土曜日)※小雨決行、荒天中止
時間
午後4時〜8時
もみじ市
寄居町商工会主催による「もみじ市」を開催します。もみじ市では出店が並びます。
日程
11月28日(金曜日)
時間
午後4時〜8時(雀宮公園駐車場内)
プロジェクションマッピング
雀宮公園ライトアップオリジナルプロジェクションマッピングを行います。
日程
11月29日(土曜日)、12月6日(土曜日)※雨天中止
場所
雀宮公園内
七代目松本幸四郎
歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎は(幼名:秦豊吉)は、1870(明治3)年、伊勢国員弁郡長深村(現在の三重県員弁郡東員町)で誕生しました。1874(明治7)年、父が事業家で各地を転々としていたこともあり、豊吉が4歳の年に、母と共に上京。京橋区(現在の東京都中央区)に落ち着いたころ、そこで虎屋饅頭の株を買い、駄菓子屋をはじめたといわれています。
この駄菓子屋の顧客であった、藤間流家元の二代目藤間勘右衛門には子がいなかったため、豊吉を藤間家の養子として、踊りを厳しく仕込んでいきました。豊吉は、11歳になると市川團十郎の門に入り、次々と歌舞伎俳優としての頭角を現していき、1911(明治44)年に七代目松本幸四郎を襲名しました。
幸四郎は恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格のある舞台で、時代物、荒事に本領を発揮し、特に九代目市川團十郎の直系の芸である「勧進帳(かんじんちょう)」で武蔵坊弁慶を演じては、彼の右に出る者はなく、生涯を通じて1600余回演じ、不朽の演技として後世に語り継がれることになりました。
幸四郎は、1949(昭和24)年に80歳で亡くなりました。子に十一代目市川團十郎、初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)、二代目尾上松緑、孫に二代目松本白鸚(九代目松本幸四郎)、また十代目松本幸四郎、松たか子、十一代目市川海老蔵は曾孫に当たります。
園内の様子
もみじ橋
東屋
新緑の園内

紅葉の園内
冬景色

七代目松本幸四郎に関する案内看板

園内の看板

十代目松本幸四郎丈の座右の銘「守破離」を刻む
七代目松本幸四郎丈の曾孫にあたる十代目松本幸四郎丈から、座右の銘である「守破離(しゅはり)」という言葉を直筆でいただきました。「守破離」とは、日本の茶道や武道・芸道における考え方であり、「守」は師や流派の教えや型を忠実に守り身につけること、「破」は良いものを取り入れ、心技を発展させること、「離」は独自の新しいものを生み出し確立させることを表します。「武州寄居町雀亭」をイメージした東屋の南側に石碑を建立しました。(令和3年10月15日)

開園時間
4月~9月
午前9時~午後5時
10月~3月
午前9時~午後4時
※年末年始も開園しています。
パンフレット

雀宮公園観光パンフレット 表紙 [PDFファイル/906KB]
雀宮公園観光パンフレットP2.3 [PDFファイル/1.92MB]
雀宮公園観光パンフレットP4.5 [PDFファイル/1.38MB]
雀宮公園観光パンフレットP6.7 [PDFファイル/3.55MB]
住所
埼玉県大里郡寄居町大字寄居643番地1
アクセス
電車
東武東上線・秩父鉄道線・JR八高線「寄居駅」から徒歩約15分
東武東上線「玉淀駅」から徒歩約10分
自動車
関越自動車道「花園IC」から約15分

