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七代目松本幸四郎別邸跡地 雀宮公園

印刷用ページを表示する 2020年11月6日更新

七代目松本幸四郎別邸跡地 雀宮公園

 雀宮公園は、歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎の別邸跡地であり、古くから町民に親しまれてきました。

 荒川周辺の水辺整備による賑わいと活気づくりを目的とした、「川の国埼玉はつらつプロジェクト」の一環で、平成29年に町が敷地を取得し、雀宮公園の整備を行いました。

 また、雀宮公園から玉淀河原までの親水遊歩道(約300m)の整備を行い、紅葉シーズンに合わせた11月7日に開通し、川沿いの自然豊かな景観を楽しむことができるようになります。

人物

 歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎は(幼名:秦豊吉)は、1870(明治3)年、伊勢国員弁郡深村(現在の三重県員弁郡東員町)で誕生しました。1874(明治7)年、父が事業化で各地を転々としていたこともあり、豊吉が4歳の年に、母と共に上京。京橋区(現在の中央区)に落ち着いたころ、そこで虎屋饅頭の株を買い、駄菓子屋をはじめたといわれます。

 この駄菓子屋の顧客であった、藤間流家元の二代目藤間勘右衛門には子がいなかったため、豊吉を藤間家の養子として、踊りを厳しく仕込んでいきました。豊吉は、11歳になると市川団十郎の門に入り、次々と歌舞伎俳優としての才覚を現していき、1911(明治44)年に七代目松本幸四郎の名を襲名しました。

 幸四郎は、恵まれた容貌、堂々たる口跡に裏打ちされた風格のある舞台で、時代物、荒事に本領を発揮しました。特に、九代目市川団十郎の直系の芸である「勧進帳(かんじんちょう)」で弁慶を演じては、彼の右で出る者はなく、生涯を通じて1600余回演じ、不朽の演技として後世に語り継がれることになりました。

 幸四郎は、1949(明治24)年に80歳で亡くなり、子に十一代目市川団十郎、八代目松本幸四郎、二代目尾上松緑、孫に九代目松本幸四郎(現:二代目松本白鸚)、また、十代目松本幸四郎、松たか子は曾孫に当たります。

園内の様子

 園内には、ウッドチップを敷き詰めた散策路や車いすでも通れるアスファルトの園路、トイレ等を整備しました。また、松本幸四郎の安らぎの場、おもてなしの場として愛されたとされる「雀亭」をイメージして建築されたあずまやがあり、雀宮公園を象徴する建物となっています。

 秋になるともみじやイチョウが色づき園内はオレンジ一色に染まります。周辺には、「ふるさと文学碑歩道」もあり、文学と自然を同時に楽しむことができます。

 雀宮公園の門の画像   あずまや

              門                               あずまや       

 ウッドチップの園路   紅葉

          ウッドチップの園路                        紅葉の園内

住所

 寄居町大字寄居643番1ほか

開園時間

   4月~9月/午前9時から午後5時まで

 10月~3月/午前9時から午後4時まで

パンフレット

 パンフレットの表の画像 パンフレットの裏の画像

 雀宮公園パンフレット [PDFファイル/2.73MB]

アクセス

 電   車/東武東上線・秩父鉄道線・JR八高線「寄居駅」から徒歩約15分

 自 動 車/関越自動車道「花園IC」から約20分

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